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シーチャスのアロス・ネグロ

そのドイツでの一件以来、空港であっても話すようになった

2001年、ブリヂストンの開発ライダーを伊藤さんと共に担っていた頃
カタルニアでのテストを終え、次のテストが他のサーキットで連続して予定されていた。

その晩はバルセロナ近郊に泊る計画をしていたが
伊藤さんがノリックの家に泊るというの聞き、便乗して
ズーズーしくも泊めてもらった。

夕食はノリックいち押し、海岸沿いのレストランへ。

(恐らく)いつものメニューを流暢なスペイン語でオーダー
4〜5品頼んだが覚えているのはホタルイカのフライ
そして、イカ墨のパエリア。これをアロス(米)ネグロ(黒)と呼ぶ。

あまりにも美味く、スペインに行く度にこれをオーダーするが
あの時の味を超えるどころか同じような
アロス・ネグロに出会うことは無い。

ノリック、あのレストランどこだった?

やせ細った遠藤さん

事故の報告があって直ぐ遠藤さんに電話しようと思ったが
皆がきっと同じ事を思って連絡してると思い
あえてこちらからはしなかった。

お通夜の前日に遠藤さんから電話。

「あ〜ノブゥ・・・」
いつもと変らない話の切り口だが
やはり覇気が無い

電話しなかった訳を話したら
「そーなんだよ、(電話が)ひっきり無しに鳴って耳鳴りしてたんだ」と。

「今回(フィリップ)は休むよ・・・18年間皆勤賞だったけど・・・  
会社(トーチュー)も今回は行かなくていいって言ってくれてさ・・・」

手短に話して、「じゃ明日」と、電話を切った。


翌日、青山斎場に行くと受付近くに
1回り、2回りほど小さくなった遠藤さんがそこにいた。

お互い掛け合う言葉が見つからず下唇を噛み締める。

お焼香を済まし、ノリックのお父さん、お母さんに
ご挨拶をしようとしたら声に詰まった。

「気をつけてな」

お父さんに声を掛けられたら、とたんに涙・・・・
辛すぎていられなくなり、足早に斎場を後にした・・・・



誰もが認める世界のトップライダーを交通事故でなくした代償は大きい
でも、ここで自分らが公道から遠のいたら彼も本望でないと思う

ノリックが公道デビューして、改めてバイクの素晴らしさを痛感したと憶測するとなら
その意思を尊重すべきだし、だからこそどうしたら安全に、そして楽しく走れるかを
1人でも多くの人に伝えて行くのが、これからの使命と思って尽力します。


ありがとう、ノリック。
             そして安らかに・・・・。